沢田研二さんと京都と横浜について

雑記
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昭和の代表的なスーパースター・沢田研二さんは京都出身ですね。

ですから、今も京都にお住まいなのかと思っていましたら、なんと横浜の山手町で暮らしておられるとのことで、驚きました。

はずかしながら、それを知ったのは約半年前でした。

横浜の山手町は、元町中華街駅直結のアメリカ山公園近くで、石川町駅からも近いです。

私は2019年まで、横浜の石川町で3年ほど暮らしてました。

沢田研二さんが住む山手町は、当時暮らしていた石川町のアパートから、歩いて20分位のところにあります。

たぶん、その辺りを毎日歩いていたと思います。犬の散歩で!何も知らずに!

話は少し変わりますが、沢田研二さんと私の母は高校が同じで同級生です。

とは言っても、私の母と沢田研二さんがものすごく仲良かったとか、面識があったとかでは無いのですけれども(話したこともないそうです)

毎年の学園祭では、すごい騒ぎになっていたと言う話を子供の頃から聞いてました。

当時からファンが多かったそうです。

また、ご実家に色々と事情があって芸能界に入るか入らないかについて、すごく悩んでおられたと言う話も、母から聞いていました。

たまたま、悩んでおられる姿を見てしまったそうです。

考え込んで歩いておられたらしく。

母曰く、デビュー少し前の話だそうです。

私自身は、沢田研二さんに対してはあんまり何か興味を示した事はないですけれども、作詞を担当されていた阿久悠さんが好きで、沢田研二さん向けの詞がとくにすごいなーと感動してました。

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独特の世界観ですから、作詞も表現も大変そう。

やっぱりジュリーって、独特の魅力があるじゃないですか。だから作詞も難しいと思うんですよね。

それを表現してヒットを飛ばした沢田研二さんもすごいですが、その世界を作詞で創り上げた阿久悠さんも、あらためてすごいなーと思えるのです。

それとは別に。

なぜだか私の周りには沢田研二さんファンが多いように思います。

過去にも何人かいましたし、約半年前にも「ジュリーのファンだった」という女性に出会いました。

その女性は、現在は横浜に住んでおられて、主婦さんです。(お孫さんがいるとか言ってたかも?)

出身は九州だそうで、私よりもたぶん15歳以上は年上です。

若い頃は歌手を目指してスター誕生のようなテレビ番組にチャレンジされていたとか。

しかも、何度かテレビに出演したこともあるそうで、すごいですねー😆と盛り上がってました👍

それよりもびっくりしたのが、歌手になりたかった理由です。

「ジュリーと結婚したいから」歌手を目指していたそうです。

かなりのファンだったのですね!

その女性とは音楽の話をするつもりはなかったのですが、なんとなくそういう話になってしまいました。

私も、子供の頃にテレビののど自慢大会に出ていたので、えらく話が弾んでしまいまして。

私が出場していたのも、スタ誕の名残のような番組でしたから、内容的にはよく似てるんですよ。レベルもですね。

なので、その女性は全国大会のレベルがどれぐらいなのかをよく知っているからなのか、私がよく賞をとっていたと言うと、かなり驚いていました。

テレビの出場回数を聞いて、目をまん丸にされていましたね。

で、その女性から約半年前に「ジュリーは横浜にいること」を聞いたのです。

だけど、なんとなく私は、沢田研二さんと言う人は、京都ではなくて横浜のほうがいいなぁと心のどこかで思ってました。

京都は違うなぁと。

特に、私が住んでいた石川町あたりが合います。

絵になります。

まさか本当に横浜におられたとは〜。

石川町を選んでおられる点も、ああ、やっぱり沢田研二さんって、自分のセンスを持ってるんだなーって思いましたね。

それと、よく自分のことをわかっておられて、絵になる街を選ばれてるのが、すごいなーと思いましたね。

芸能人関係の豪邸で感動したのは、これが初めてです。

沢田研二さんの背中と目つき、すごく魅力的ですね。
それが横浜とあいますし、それに横浜の石川町には、そういう男性が多い気がします。

哀愁がある背中の人が多いですね。それが似合う場所ですし。

石川町は、すごくおしゃれなわけでもないですし、すごく何か特徴がある街でもないんですよね、実は。

何が素敵なのかが説明しにくいし、多分現地に行ったほうが早いです。

そういう意味では、横浜の観光地の桜木町のほうがわかりやすいし、賑やかで華やかだと思います。

写真映えもするので、あれが横浜だと思い込んでいる人も多いでしょうね。でもそれだけでは無いのです。

石川町には昔ながらの横浜が残っているわけですけれども、そこに注目が集まっているわけでもないですし、桜木町に比べると、人はかなり少ないです。

中華街が近くにあるおかげで、ちょっと石川町や元町にも寄ろうかなぁみたいな感じで、立ち寄る人が多い位です。

基本的には静かな街だと思いますよ。

けれども、やっぱり、石川町にしかないものがあるのですよ。

それを頑なに守り通しているようにも見えます。

素晴らしいことだと思います。

元町ショッピングストリートも、基本的には変わっていませんし、その隣のクラフトマンシップストリートも、少し廃れた感もありますが、ここにしかないものを大切にしているので、何度も訪れている人が多いのですよね。

沢田研二さん夫妻は、元町ショッピングストリートでよく買い物をされているそうです。それもわかりますね。

絵になりますよ。

沢田研二さんは、上京する前に関西でも歌っておられたそうです。

ジャズ喫茶のようなところで歌っておられたようで、そういう背景も含めると、横浜が似合いますね。

ちょうどそう思っていたので、本当にそうだったのが嬉しくもありました。

かといって、全然京都らしさがないわけでもないと思います。

京都の感じもうまく残っているし、京都と横浜がうまくミックスされていて、見事ですね。

今だから、私もわかるのですけど。

沢田研二さん夫妻の豪邸は、マリンタワーが遠くに見えるアメリカ山公園や外国人墓地の近くです。

独特の冷ややかで静寂した空気があるところで、かなり静かすぎるところなので私は住みたいとは思いませんけれども、時々通ると、昔の横浜をすごく感じられて好きですね。

私が住んでいたところと同じく高台ですから、遠くに桜木町のクイーンズスクエアなどが見えます。観覧車も見えますよ。

15時ごろには、近くの大桟橋あたりから船の汽笛が聞こえてきます。

そんな街ですね。

今は、そんな石川町が大好きですけれども、実は22歳位の時に横浜の石川町に歌いに来たことがありまして

その頃は、どちらかというとあまり好きではありませんでした。

どっぷり関西人だった頃ですね。

石川町駅近くの王将に行ったのもすごくよく覚えていますし、中村川に架かる橋を渡ったことも鮮明に覚えています。

石川町駅近くのお花屋さんのお花が、歩道のところまで出ているので、歩きにくいから店の人をにらんでいたのも覚えています。

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その花屋さんは、今もあります。
かわいらしい和菓子屋さんの隣です。

もちろん今は、そんな目はむけません。

当時と同じく、歩道近くのところまで花が置いてあるんですけれども、全然うっとうしくありません。

逆に可愛らしいお花ばっかりで、通るたびに癒されていましたね。

なんでそんなに変わったのかな?と思う時、いつも思い出すのが、20代後半の出来事です。

20代の後半はまだ京都にいました。

20代後半に今までになかったようないろんな出会いがあって、その中で、自分はどんな人なのかについて考えさせられるようになりました。

自分は何が好きで、どんなことがしたくて、どんなふうに生きていきたいのかと、すごく考えていた時だったのですね。

その結果、らしい道を選べたおかげで、それがのちに横浜の石川町で暮らすところにつながっていたのだと認識してます。

20代後半にいろんなことに悩んで、自分の個性に気づけたからこそ、その後の結婚があって、結婚がきっかけで横浜で暮らせたのかなとも思うのですね。

22歳の時のように、横浜のことを「なんか気取っているなぁ」と嫌うような人格であったならば、その後の結婚はなかったと思います。あのような人を選んでいないと思うので。

つまり、20代後半の出来事によって、180度、物の見方が変わったと言っても過言ではありません。

もともとは東京が好きでした。横浜にはあまり興味がなかったのです。

東京にはテレビののど自慢大会のテレビ収録でよく行っていました。子供の頃ですね。
大阪に住んでいた頃の話です。

その頃から、東京が合うなぁと思っていましたね。

あと、私の両親ですが、どちらも関東の方が合うと思います。

それは、子供の頃にテレビ収録で東京に行っていた時から思っていたことです。

なんとなくこっちの方が合うなぁと思ってたのですよ。

私の両親はどちらも独自のセンスを持っていて、ちゃんと自分を持っているのですよね。

団塊の世代の人なのに、本当に珍しい。

だから、多分関東にいたほうが話が通じやすかったのではないかと思います。

なんかいつも話が通じてないなぁと思うことが多くて、それは関西にいたからだと思えてくるのです。

周りの人となんとなくあっていないような感じがして。

私が勝手に思ってるだけですけれども。

それは私自身も経験しておりまして、横浜や東京では、自分の考え方を言いやすかったので、すごく楽でした。

独自の考え方や生き方を話した時に、肯定的に捉える人が多くて。

例えば、以前に少し話したことがある東京在住のフリーのデザイナーさんが言っていました。

デザインの世界でも関西人と関東人では、見積りの出し方が違うと。

その取引を通して、やっぱり関東の方がいいデザインが生まれるなぁと言っておられました。

なんか、それはわかりますね。

横浜の人たちは音楽やダンス、アートに対してすごく敏感で、そういう話になると目をキラキラさせていましたよ。

ワクワクするみたいです。

24歳位の時に、再び横浜の都筑区である歌のコンテストに出場しまして、オリジナル曲で1位になりました。

全国大会でした。

その時のスタッフの方々の私のステージの見方や応援しようと言う姿勢がすごく好きでした。

横浜っていい人が多いんだなぁと思って、その時に初めて東京よりも横浜に興味を持ったと思います。

当時からコーヒーも好きでしたので、コンテスト会場に行く前に、有名な純喫茶でアイスコーヒーを飲んだのも覚えています。

その時もなんだか居心地が良くて、もしかしたら横浜が合うのでは?と一瞬思ったのを覚えています。

若い時から、アンティーク調のものが好きですから、やはり横浜な感じだったのでしょうね。

でもそれって、京都の市内にも結構あるんですよ。

最近気づいてきました。

京都に帰ってきて、たぶん4年目位ですけど、結構いろんなことを考えました。

いろんなことを冷静に見つめなおせてよかったです。

さてさて。

沢田研二さんが石川町を歩いてるところ、リアルでみてみたいなー。

田中裕子さんも素敵な女優さんですね。

ところで、もう2月になってしまいましたね。

ブログもほとんど出来上がってきて、残りはちゃんとした記事や写真の投稿を増やしたり、曲を公開したりなどだけになってきました。

まぁ、マイペースに増やしていきます。アクセスの感じもかなり良いので、とっても感謝しております。

まだ記事数も少ないのに、今から広告収益も順調ですから、これからが楽しみですね。

ここのブログはアクセス数が多いわけでは無いのですけれども、一人当たりの滞在時間が長いのと、すごく記事を読んでくださっているので、それによって広告費が入りやすくなってます。

アクセス数が多いほどに広告収益が上がるわけではなくて、どれぐらい詳しく、またどれぐらいの頻度で記事が読まれているかもポイントなので。

ブログを開いてからの滞在時間が長いほど、詳しく読まれていると言うことになりますよね。

また、同じ記事でも何度か読んでいただいていることが多くて、それも収益額が上がるポイントになっています。

単純にアクセス数を上げて広告費用を稼ごうとする動きが多い中で、ここのブログは全く反対のやり方なので、すごく嬉しい結果ですね。

アクセス数だけを上げて広告費用を稼ぐやり方は、維持が難しいので、やめておいた方が良いですよ。

1月はすごく忙しくて、記事が書けなかったのですが、2月からはマイペースに増やしていきます。

なので、引き続きよろしくお願いしますm(_ _)m

昨日今日はかなりゆっくりできたので、ほんとよかったです♪

ここのブログも楽しくなりそうだな❤️

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