黒い音を聴き始めた頃のことを思い出して

音楽
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10代の頃はポップスばかりを聴いていたと思う。明るくて軽めの音ばかり。今考えればそう思う。
そしてそれらの曲のほとんどは、自分で選んだのではなくて、大きな流れの中や周りの人に影響されて選んでいた曲だと思います。

10代の後半に近づく頃、正確に言うと、16歳くらいからかもしれません。
大阪から京都に引っ越して、私はどこか暗くて重い音を求めるようになりました。

そして、たどり着いたのが黒人音楽でした。
1960年代から70年代にアメリカで流行っていた黒人音楽を聴きあさる日々。

歴史の中で虐げられてきた人種の叫びや嘆き、それでも生きていこうと何度も立ち上がるパワーにソウルに。
英語もわからないから、歌詞の意味なんてわかるわけないのに。
それらが音や歌声からイメージで感じ取れたのか、私の中にある遺伝子の一部に響いて聴かずにはいられなくなったのだと思います。

虐げられて馬鹿にされて見下げられて、奴隷扱いされて、明日に夢なんて描けるわけがない。
それでも、日々が続いて行く限りは、生きていかなきゃいけなくて、仕方ないから今日も歌って陰を蹴散らす。
ビートに乗って陽気に踊る。
そのような技で、暗い暗い夜を超えて朝を迎えて毎日を渡っていく。

難しいことはわからないけど、黒人音楽の音や歌声からそのような背景が感じ取れた。
結果、それらが私の中にある遺伝子の一部に響いてしまったのだと思います。

私自身の人生においては、虐げられてもいないし見下げられてもいないし、裕福ではなかったけど、食べるものがないほどお金がなかったわけでもないから、叫びとか嘆きとかはないはず。
けれども、そうした背景が私の中にある遺伝子の一部に響いてしまったのは、そういった先祖がいたからだと今は理解してるのです。
実際に存在したことを聞いているから、そう思えて来て。

本人は分かっていなくても、その背景にある先祖たちの出来事が遺伝子に組み込まれているから、惹かれていってしまうものがあると思うのですよね。
だから、そういう歌を自分は求めていないはずなのに、なんとなくその歌を歌ってみて心がスッキリするのは、先祖がすっきりしているのではないかなぁと捉えてみたりもしてるのです。

しかしそのような背景の事情は、揺れ動いていると思いますから、その時々で共鳴する遺伝子が違うとは思いますけれども。
だって、私の背景にはどこかでつながっている亡き人がたくさんいるでしょうから。
その命のつながりで、私の命が成り立っていると考えています。

そう思いながら、なんとなくの衝動で曲を選んで、最近は歌ってますね。

なんとなくの衝動には枠がない気がします。
そして、あまり自分もない。
その衝動に理由をつけてしまうと、枠ができて狭いものになるし、どんどん自分だけにこだわっていくと思います。

その証なのか、最近は黒人音楽をほとんど聴いていません。
だけど、これからもずっと聴かないとは思いません。
また何かのきっかけで思い出して、聴いたり歌ったりするのでしょうね。

そしてこれからは、もっといろんな音楽にも出会うのです。
今まで大切にしてきた音楽も大事ですが、これから出会う音楽も貴重です。

まだ気づいていなかった遺伝子に響いたりとかして、そこでまた遺伝子を通して気づける自分があったりとかして。
何よりも、命に命がつながってその結果として、今の自分があると言うことを忘れてはならないなと強く思っています。

話は変わりますが、高校の時に黒人差別についての作文を書かなければいけなくて、黒人音楽を交えて書いたわけなのですが。
それが想像以上に認められて、驚きました。

差別されてきた黒人はかわいそうだと思うけれども、差別されてきたからこそ養われた強さもあって、それが音楽に込められていると。
何よりも、差別されて来なければ、あんな黒人音楽が生まれなかったわけで、私も黒人音楽と言うものに出会えなかったのだから、そのように考えると、犠牲になった人がいたとしても、全てが悪かったとは思えないと。

そのような内容であったと思います。

あまり何も考えずに書きました。

暗くて重いはずなのだけど、それを蹴散らすかのような独特のノリと、生命力を感じるパワフルな声、その裏側にある嘆きが詰まっている黒人音楽は、世界から見ても貴重な音楽だと思います。
ひとつのジャンルになっているのですから、当然ですね。

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