最近の私は

雑記
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少し更新が空いてしまいました。すいません。特に何か忙しかったわけではありません。仕事も楽ですし、時々は気分転換にスポットバイトに行ってわいわいおしゃべりもしています。

また、東京や横浜にも用事でよく行っています。用事で行く方が観光っぽくないのでいいです。私にとって、東京や横浜は観光地ではなくなってしまったから、わざわざ用事もないのに遊びに行くなんて不自然です。

「フリーのウェブライターの仕事も楽ですし」とか言うと、不快な思いをされる方もおられるようですから、普段あまり言いませんけれども…始めた当初にかなり頑張れたおかげで、今はすごく楽。

何の自慢にもならないかもしれませんが、これぐらい楽になるまでには、約4回ぐらいメニエール病を経験しました。ぐるぐるとめまいがしてまともに歩けなくなる、あのメニエール病です。トイレにも行けないし、一人の時に発病したので、めまいがおさまるまでがすごく大変でしたよ。つまり、そういうのも乗り越えて、今があるのですよ。

今なんてのんきに350mlのビール(1日1本に決めている)を飲みながら、ライターさんから上がってきた記事の編集とかしてますけれども、一番大変だった時はアルコールなんて体に入れられませんでした。そんなことをしたら納期に間に合わないかもしれないし、寝てしまうかもしれないしと心配で心配でのんきに飲んでいられなかったのです。

そうやってストイックに過ごして仕事の成果を上げるのが、当時の私の支えになってました。大切な人が亡くなって一人になって、住むところも変えて、横浜の田舎ではなくて、観光地としても有名な石川町で一人暮らしをスタート。普通の仕事ではなくてフリーランスで食べているというのが誇りであり、支えでした。

そういう風に形を整えて、ある種どこか着飾って何とか元気に過ごすのが、当時の私のやり方だったのです。そうやって悲しみや不安を蹴散らしていたのです。その舞台が横浜の石川町で本当に良かったと、今でもよく思います。だってかっこつけやすいじゃないですか。

けれども今は、仕事との向き合い方も変わりましたね。時間も経てば、考え方も変わるのですね。

そんな数年前から考えると、今日はエビスにしようかなとか、いやいやスーパードライにしようかなとか、たまにはクラフトビールもいいかもなとか、そんなことを言っている今が平和ですね。キリンビールは昔からあまり好きではないので、苦味が恋しい日以外は選びません。それも相変わらずでなにより。

音楽も大好きです。音楽との付き合いは長いので、それなりにいろんなことがありました。嬉しいこともあれば嫌なこともありましたね。その過程で負ってしまったいくつかの傷が残っていたりもしますけれども、やっぱり音楽が大好きです。

先日もお話しした通り、カラオケで歌を録音しておりまして、なかなか納得いかないのですが、何度も何度も自分の今の声を聞いてみていろんな発見がありました。そういうプロセスが特に大切なんですよね、今の私にとっては。とにかく、1曲はワンコーラスだけ録りましたので近々お知らせします。

声質とか歌いたい感じが変わってしまったので、選曲もちょっと大変で。。。というのは人間性も少々変わったからなのだと思います。それによって選ぶ曲を変えなければいけないのも結構勇気が必要で、なかなか難しい状況に置かれています。きっと試されているのです。

一番の違いは、張り上げれば出る声でも、今はやっぱり張り上げたくない点です。張り上げて出したとしても自分の耳が納得してくれないのですね。なんか違うなと思ってしまって。

それは、今、無理になにかを頑張るような生活を送っていないからかもしれません。歌に対する姿勢も大きく変わったのですね、きっと。かと言ってダラダラしてるわけでもないのです。

歌は録音するだけではなくて、その後にミックスする作業も面白いです。だから、歌だけではなくて音楽として仕上げるのが好きなんですよね。
また自分の声や歌い回し、キャラクターに合う伴奏を探すのも好きですね。昔と違ってカバー曲が増えていますから、伴奏のバリエーションも増えています。

実はそれは子供の頃から始まっていることで、歌だけを一生懸命練習している人とは違うんだなと思ってました。何が違うのかよくわかっていませんでしたが。。。

カラオケの伴奏を聞くのが大好きだったんですよ。こういうカラオケに歌が乗って、こうなるんだなとイメージしながら聞くのが大好きで、そこでまた歌い直すと歌が変わっていたりして、そんな冒険が大好きでした。10代の頃の話になりますね。コンテストなどに向けた歌の練習以外の時間に、そんなことをして遊んでました。そっちの時間が多い方が良かったかもしれないですね。

しかし、「こうした方が良かったかもな」とか「こうなってくれたらよかったのにな」と述べる時でも、後悔はしていません。この流れで良かったので。今自分と向き合ってみて本当にそう思うのです。

自分は「運が悪そうで運がいい」と思うことが多いです。ここ数年で本当にそれをよく感じるのですね。なぜあの時うまくいかなかったのかなと考えた時に、最終的には「それで良かったんだな」と思えるからです。つまり、今現在の自分の生活に納得できているからですね。

そして、これからのこともある程度は決めていて、それも自分らしい決断ができたから、余計にそう思うのですよ。

悲しいですけれども、この先、親がいなくなってしまったら、京都からは出て行きます。親がいなくなってしまった京都に住んでいる意味はないし、そこまで思い入れや地元愛があるわけでもないので、横浜の石川町に戻ります。あの町以外が浮かばないし、今更東京に住みたいわけでもないし。東京は時々行くぐらいでいいですね。

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子供の頃は大都会に見えた東京や横浜も、今の私にとっては大都会ではなくて、、、特別な場所ではありません。仕事でも東京によく行っていましたし、何度も行っていると都会じゃなくなってくるんですね。
京都と比べたらかなり人が多いですが、まあこんなもんかなと思いながら見てます。

そして横浜は暮らしやすく私にとっては自然体でいられるところです。街も人も大好きですね。

なので、いずれは横浜の石川町で暮らしますけれども、大都会でまた暮らすとか、そういうことではありません。暮らしやすい街で暮らしたいから横浜の石川町に戻って、そこでずっと暮らすと言っているのです。

そして、横浜から京都に戻ってきて5年になろうとしていますが、色々と自分も変わったし、成長できた部分があります。ですから、この先に横浜の石川町で暮らしたとしたならば、以前とはちょっと違う毎日が待っているような気がします。

言ってみれば、続きをまた始めたいのです。

実は横浜から京都に戻ってきた時も、1回帰ると言った意識しかありませんでした。それなりの事情があったからです。でも、1回帰る意味があるのだと思って帰ってきました。それはその通りで、そのおかげで色々と成長できた部分があります。

そうしたプロセスがありますから、今度あの町に戻ったら、以前とは違う毎日を過ごせるはずなのです。そして、そこからもまた新しい自分をつくりあげていけるでしょう。いろんな人にも出会うはずです。

音楽もある程度できて、横浜の石川町で暮らし始めたら、絵のスケッチをやっているサークルにでも入ろうかと思っています。休日はその人たちと出かけてスケッチをするのです。

もちろん、カメラのサークルにも入りたいです。東京にもいくつか面白いサークルがあるし、みんなと撮影に出かけたい。

また、横浜の石川町は観光地ですから(何度観光案内したことか)、地元の人だけではなくて他のところからもたくさん人が流れてきているので、地元だけではできない会話ができたりもします。そういう交流スペースもありますので、何もなくても楽しいのです。意外にお金もいりません。

一度、横浜の中心地に住むと、それ以外の場所で暮らしたくなくなると言っている人が多かったです。その意味がよくわかりました。

でも、今は京都の生活を大切にしています。そういう中で、東京や横浜には、少なくても週に1度は絶対に行っています。

まあそんな感じで最近の私はかなり落ち着いておりまして、ふとした瞬間に「幸せだな」と思うことが多いです。これは本当にありがたいです。

ではこの辺で歌の練習をしてきます♪三階で♪

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