カナリヤ響子ブログ

ウェブライターや音楽などで楽しく仕事しております♪ブログやカメラも大好き❤京都出身横浜在住。石川町あたりでチワワ君と暮らしてます✨月一くらいで京都の実家に帰ってるので横浜と京都を行ったり来たりのフリーランス生活です♪

好きだから仕方ない。

昔から好きなことには、まっすぐ。熱中すると止まらない。私は今40代であるが、その情熱は昔から一つも変わっていない。

あれは、30代の頃だっただろうか。年齢を重ねるごとに、集中力が低下するという話を聞いた。つまり、好きなことでも集中できなくなると言うのだ。え?そうなの?じゃ、いつか私にもそんな日が訪れるの?と、内心ビクビクしながら過ごしていた。

集中力が低下する原因は、単純に年齢のせいだと、その人は言っていた。だけど、それだけではあんまり説得力がないと思う。そこからさらに深く突っ込もうと思ったけど、突っ込んでほしくなさそうな顔をしていたので、深く追求しなかった。

さらに深く突っ込めなかった私は、そこから自分の中で答えを探し始めることになる。本当に年齢を重ねると、集中力が低下して好きなことにも熱中できなくなるのだろうか?ある種の不安とともに、曇った疑問が脳内で渦巻き続けていた。

だけど、結果的に40代になった今でも、集中力が低下することなし。逆に増しているような気がする。厳密に言うと、熱の上がり方と上がるときの速度が変わったなと思う。

スポンサーリンク

好きなことに関しては、純粋に熱中している範囲に限り、がんばっている意識がない。つまり、好きだからやってしまっている状態。

しかし、そこに変な競争心や立てなくても良い戦略など、頭が重くなりそうな考えが乗っかってくると、集中力がプツン切れてしまう。

人間は、多面的で多層的な心に支配されている。私はそう思う。シチュエーションによって出てくる感情をコントロールするのは、大変だと思う。まっすぐに熱中していたと思っても、何かのきっかけで雑念が入ってきて、そこから、曲がってこんがらがることもよくあるだろう。実際私は、それを何度も体験した。

大体結果を考え出すとロクなことがない。結果なんてのは、今考えてもわかるはずないのに、なぜ、今考えているんだろう。答えは簡単。不安だからだ。

しかし、未来の事は誰にもわからないのである。この地球が未来にはどうなっているのか?そんなことだって、誰にもわからないのである。

わからない事をごちゃごちゃ考えてエネルギーを使う位なら、まっすぐ好きなことに情熱を燃やしていたほうが良い。何よりも、そのほうが気分が良い。たとえ結果が悪くても、後味が良い。

ところで現在の私には、いくつかの目標(やりたいこと)がある。今それに向かって見えないところで熱中している。日々、その事しか考えていない。考えようとして考えた事は無い。気がつけば考えて止まらなくなっている。

そういえば数ヶ月前、友達と中華街の占いに行った。私は普段占いには行かない人だけど、その日は珍しく手相占いをしてみた。

「昨日よりも今日、今日よりも明日、前進することしか考えてない人ですね。」と言われた。確かにそうである。そんな自分が確立されたのは、やはり幼い頃の経験からだと思う。

幼い頃の経験は、その後の人生に大きな影響を及ぼすと思う。良い悪いに関係なく。

私の場合は、物心ついた頃から漫画家になりたくて毎日絵を描いていたこと、10歳から歌でテレビに出るようになったこと、この2つの経験が、今に大きく影響していると思う。

漫画家になりたかった頃は、暇さえあれば漫画のストーリーを考えたり、絵を描いたりしていた。そこに、どれだけの時間を費やしたのだろうか。評価されたい、結果を出したいと言う思いはひとつもなかった。

そんな中でポスターのコンクールに入選したりなど、それなりの評価をいただいたけど、本人はあまり感動していなかった。そんなことより、次の漫画のストーリーのことで頭がいっぱいで。

歌に関しても、全く同じことが言える。詳しいことはプロフィールに書いてありますが、タイミングが良かったのか、テレビで歌いたいと言う願いが突然叶ってしまった。

その日からというもの、毎日毎日飽きもせずに歌っていた。もちろんそれは、テレビに出たいから練習をしていたのではなく、歌いたいから歌っていたのである。

好きなことに対しては、とにかくしつこい。一度や二度、悪い結果が出てもへこたれないのが私の長所だと思う。いや、長所どころか、武器なのかも。

しかしそれは、精神力が強いとか、負けん気が強いとか、気が強いとか、そういう見解の話ではない。単純に好きだから、悪い結果が出ても、気がすむまでやり続けているのである。

そんな性格が形成されたのにも、ある経験が関係していると思う。それは今だから、そう思える。

10歳で初めてテレビに出られた。念願のテレビ出演。だけど、子役で出たとかそういうかっこいい話じゃない。ちびっこのど自慢に出場することにより、念願のテレビ出演を果たせたのだ。

スポンサーリンク

いつも、歌謡番組を見ながら思っていた。あんな華やかなところに歌えたらいいなぁと。しかし、私には才能なんてないから、あんなところで歌えるわけがない…と諦めていた。諦めていたと言うより、そんなことを考えても、意味がないと思っていた。

初めてのテレビ出演。人前でちゃんと歌うのも、テレビに出演するのも初めてだった。何もかも初めて。だから、一位や二位などに選ばれるわけがないと思っていた。だけど、なぜか二位に選ばれてしまった。

名前を呼ばれたとき、一瞬体が浮いてるような感じがして、前の景色がぼやけた。そして、その時に初めて、私は普通の人より歌が上手いのかもしれないと思った。

そんなふうに、鼻が少し高くなってしまうと、やっぱり人間というのは調子に乗ってしまうものだ。私のようなクールな者でも、調子に乗るときは乗ってしまうのである。

すっかり芸能人気分に浸かってしまった私は、多分、これからもずっとテレビに出続けて、歌手になってしまうのかもしれない!などと、顔には出さなかったものの有頂天になっていた。

しかしだ。私の予想に反して、その後は約1年間、のど自慢の予選に応募しても落とされ続けた。見向きもされない。そもそも審査員は私の歌を聴いていない。さすがの私も、歌をやめようかと落ち込んでしまった。

今考えれば、結果にこだわっていたからダメなのである。そういうがんばり方は似合わない。私の中の汚れることがない純粋な部分が消えてしまうから、歌っても輝いていないのである。

歌が上手いとか下手とかよりも輝いているかどうかが1番大事なのでは?輝きを求めて、その人の歌を聴いているお客様が多いなぁと思ったのは、12歳位の頃だった。

話を戻すと、1年間冷たく落とされ続けた私は、落ち込みながらも歌うことをやめなかった。もちろんそれは、歌が好きだからだ。オーディションに関係なく、毎日歌っていたい。その衝動だけで毎日毎日、ずっと披露する事は無いかもしれない歌を練習し続けた。

そして、結果なんてどうでもいいやと開き直った時、突然合格してしまった。その時の審査員の顔は、今でも忘れる事は無い。歌っている最中に、ニコッと笑ったのである。私は歌いながら、これはいけるかもしれないと確信していた。

その確信は現実となり、その後テレビに出続けることになってしまった。テレビだけではない。いろんなステージやラジオなどにも出演することになった。毎日毎日、歌の事ばかり考えて生きていた。新聞や雑誌に載ったこともある。

つまり、1年間落とされ続けたからこそ、この精神が養われたと言いたい。あれがなければ、今の私には、根気も根性もなかったと思う。だって、基本的な性格は気分屋で飽き性だから。

あのとき、合格したいから努力したのかというとそうでは無い。好きだから歌っていただけ。最後は別に受からなくてもいいと思っていた。その時につかんだ根気や根性は、何歳になっても汚れないように大切にしていきたいと思っている。私にとっては宝だ。

というわけで、どんなことがあろうとも、私は目標のために情熱を燃やし続けていきたい。そこに命を使っていきたい。

そんなことを考える本日のカナリヤ響子さんなのでありました。


そうだ。大好物のプリン。これも好きだからやめられない。

おやすみなさい。