カナリヤ響子ブログ

日々淡々と綴る。今日という日を忘れないように。自分らしさを忘れないように。

光と影を目で追う毎日。実は答えを探してる。

ここ2ヶ月ぐらい、いろんな街にいかなければいけないから、いろんな風景を目にするようになった。

 

それは、心地よい刺激でもあり、時には疲れてしまうこともあり。

 

でもそんな中で、何らかの光が射したときにできる影を目で追いながら過ごしている自分がいる。

 

これは、ほぼ無意識にやってしまっていること。

 

もし、今の自分がカメラの楽しさを知らなければ、影なんかに気づかずにただ歩いているだけだったのかもしれない。

 

光のさし方によって眩しいと感じるから光に気づくことが多かったとしても、影を踏んでも感触も何もないわけで、刺激のないものだからこそ、気づきにくい。

 

でも、影に気づきながら街を歩いてみると、街の風景がとても奥深いものになる。

 

影に気づいてしまうと、次は光にも敏感になる。そもそも光がささなければ、影はできないし、光の差し方によって影の伸び方が違ってくる。形も何もかも違う。

また、動くものに光が射して影が伸びている場合、動くものの動き方によっても影が変わるから、目で追っているうちに夢中になってしまう。

 

だけど、夢中になって目で追っていたのに、光のささないところに動くものが移動してしまって、影がなくなってしまうこともある。そんな時はいつも、軽く舌打ちをしてしまう。せっかく見つけた影がなくなってしまうんだから。

 

そういえば、影がある人と言う表現がある。影がある人と言うのはどんな人なのか?ちょっと気になって、ネットで検索してみた。

 

すると、ミステリアスな人が該当するらしい。その説が多かった。ミステリアスな部分が、つまり、影になっているのであろう。

 

本物の影は黒色。という事は、影がある人のミステリアスな部分は、イメージ的に黒色なんだろうか。それとも色がないのだろうか。独自の色なのだろうか。

 

よくわからないけど、本物の影を目で追っているうちに、過去に出会った影がある人を何人か思い出してしまった。そういえば私は、影がある人が好きなのかもしれない。写真ブログでも、そんな言葉をつけたような気がする。

 

そんな私も、自覚は無いけれども、周りから影がある人と言われることが多い。では具体的に、私のどのあたりに影があるのか、光が当たって影が後ろに伸びているように、実際に影があるのだろうか。などといろいろ考えてしまう。

 

実は、そんなことを考えながらカメラを持って街に出かけて写真を撮りたいと思っている。写真を撮りながら、何か言葉が浮かぶのではないかと思っている。それはきっと、歌になってくれるのではないかとちょっとだけ期待している。

 

だから今度は、カメラで光と影を追ってみようと思う。カメラが目になるんだ。目でシャッターを切るようにカメラのシャッターを切りたい。そんな意気込み。

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