金糸雀ブログ

京都出身・横浜在住のフリーランスWebライター、シンガーソングライター・カナリヤ響子の自分メディア的な雑記ブログ。日常のことや仕事のこと、考察や独学のアウトプット、大好きな横浜の山手、中華街、関内、桜木町、みなとみらいなどの記事を書きます。

エッセイの書き方の勉強(2)

エッセイの書き方

こんばんは。カナカナです。

前回は、Webマーケティングの本を読んだりして習得したことを自分なりに分析してアウトプットしました。たくさんの人に読んでもらえて嬉しいです。ありがとうございます。


さて今回は、再び、エッセイの書き方について勉強したことを自分なりに分析してまとめてみたいと思います。

エッセイに美しい文章表現はいらない?

小説を書こうとすると、必ず美しい文章表現、描写が必要になります。目の前の風景を正確に伝えるだけの文章では、小説は成り立ちませんね。


じゃ、エッセイはどうなの?


エッセイには、美しい文章表現はいらないようです。いらないどころか、そうした常識はぶっ壊してもいいようです。


つまり、どれだけ自分らしく綴れるか?が勝負になるのですね!


私は、以前に尊敬する田口ランディさんのエッセイをパラパラ読み漁っていました。


しかし、これらの全てをきっちり読んだわけではなく、断片的に読んで田口ランディという人を感じ取っていただけなのかもしれません。


つまり、エッセイってそんな感じの捉え方でいいんじゃないかな?と勉強してるうちに思えてきました。

書き手ではなく語り手

エッセイを書く人は「書き手」ではなく「語り手」だそうです。


うーん。なんかかっこいいですね。語り手という言葉の響きも。


素晴らしい語り手は、もしかしたらみなさんのすぐ近くにいるかもしれません。


女子会や飲み会で、いつもみんなを惹きつけるような話し方をする人。


話の内容を聞いてみると、ものすごく魅力的ではないのに、語り手がいいから、ついつい聞き入ってしまう、、、なんてこと、よくありませんか?


この人が語るとすごく面白い。


同じ話なのに、なんでこんなにおもしろいんだろ?とクラスの人気者にジェラシーしてしまった経験はありませんか?


私は、つい最近、周りに言われて気づきました。
私が語ることは面白いそうです。



あ、文章じゃないですよ。
リアルに語ってる時。
ユーモアがあるそうです。
自分では全然わかりませんが。



だから、書き手ではなく語り手として文章に落とし込んで行けば、魅力的なエッセイが書けるのでは?と一瞬思いました。


エッセイを書く人は、書き手ではなく語り手というのを頭に入れておこうと思います。


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「自分」が主役のストーリー

エッセイは、自分が主役のストーリーだそうです。仮に、友達のことを題材にしてエッセイを綴ったとしても、あくまでも語り手は自分なので、主役は自分になります。


それは、一体どういうことか?というと、エッセイの良し悪しのほとんどが主役のキャラクター性にかかっているということになると思います。


いくら美しい文章表現でエッセイを綴っても、主役の自分のキャラクターが前に出ていなければ、エッセイにはなりません。



さらに、そのキャラクターに独自性がありながらも、みんなが求めている人物でなければ、エッセイは読んでもらえないのかもしれません。


だから、極論になりますが、クラスの人気者こそがエッセイを書くべきなのですよね。
要は、何かしら輝いている人がエッセイを書くと、文章表現がイマイチでも人は寄ってくるのかもしれません。

しかし「自分」ほど書きにくいものはない

ところで、エッセイは自分が主役なのですから、つまりは自分を語らなくてはいけません。


よく考えてみると、自分を語るなんてすごく難しい。


私がいつもWebライターの仕事で書いてるような自分以外の主役がいたり、もしくは主役がいない記事作成の方が、ある意味、楽チンです。


私の場合は、今年でWebライター5年目なので、それ系の記事はよそ見してても書けます。。。。


ところが、エッセイとなるとそういうわけにはいきません。


考え込んでしまうと、エッセイが何者か?も分からなくなってくるので、今回エッセイの勉強を始めてみたのです。


なんとなく、エッセイが何者か?わかってきました。


ありがとうございます(まだまだ続くよ)
今回も乱文失礼いたしました☆彡

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